COLUMNコラム
2018
June
01
サンダース・ペリーの歴史

サンダース・ペリー商品誕生~国内製造までの道のり①

イギリスで誕生したサンダース・ペリー化粧品は
現在は製造方法を受け継ぎ、国内にあるグループ工場で作られています。
イギリスから日本へと伝わるまでには様々は問題と試行錯誤が続きました。
国内製造までの道のりをご紹介いたします。

・イギリスから日本へ

姉パメラのためにロナルド・ハリントンが初めて作った自然化粧品。
それは海を越え、1974年にはるか遠くの日本へと伝わりました。
当時の日本国内では自然化粧品という言葉もなかった時代。
肌トラブルに悩む多くの方に心地よくお使いいただける化粧品を届けるため、
イギリスから製品をそのまま輸入をしていました。

1980年代後半、徐々に国内での人気が出始め、需要が高まったことから
出荷が次第に追いつかなくなります。
イギリスでの後継者問題なども重なり、安定した国内供給と、
さらなる品質向上に向けて、やがて製法を伝承し、
国内での製造が検討されるようになりました。

しかし、国内産の化粧品づくりは簡単なものではなく、
試行錯誤の日々が続きました。

・いざコーンウォールへ

当時、サンダース・ペリー化粧品を作っていたチャールズ・ペリー社は
イギリスの最南端コーンウォール地方に工場を構えていました。
コーンウォールは風光明媚な丘陵地。
どこでまでも丘が続き、羊や牛などがのびのびと放牧され、
時がゆっくりと流れているような場所です。
自然豊かで美しい地で大切に育まれてきました。
日本からスタッフが現地へ出向き、実際に体験しながら研修を繰り返す日々が続きました。

・研修の日々

工場は丘の上にありました。建物は全5部屋ぐらいに仕切られており、
そこで原料保管、製造、ろ過、輸出用資材の保管、充填済の化粧品の
保管などがおこなわれていました。当時のイギリスの従業員は、4名。
どうりで生産は間に合わなくなるはずでした。

商品づくりはビーカーで原料を量ったり、大きなお風呂の浴槽のような容器に入れ、
30分以上木の棒で撹拌したり、寒天を入れて固まったクリームをミキサーで撹拌したりと、
思っていた以上の手作業でした。まるで理科の実験のような内容が続きます。
このような方法で作られる商品ですが、後日作ったものを試してみると、
ほかのどんな化粧品でもなく、まさしくサンダース・ペリー化粧品なのでした。
全ての研修を終え、製造レシピを受け継いだところで一路、帰国します。
次は国内で再現を成功させるために。

・試行錯誤

帰国後は早速イギリスと同じ品質のもの、さらにそれ以上のものを目指して
実験を開始しました。イギリスへ行く前に日本で手配した原料やミキサーが揃っていたので、
すぐに取り掛かりました。計量容器のメートルグラスはイギリスで使用していたものと
同じものを用意しました。なぜなら、イギリスの計量単位は、FL.oz(フロールオンス)といい
日本と異なるからです。同じ道具で、教えてもらったレシピどおりに作ってみると、
なぜか同じものができません。そればかりか、毎回違うのです。

理由がわかりませんでしたが、何度か繰り返す内、
あるときメートルグラスを割ってしまいました。当時はオンス表示が手に入りづらかったので、
残りのものは予備として保管し、日本製のメートルグラスを使用しました。
すると、商品が安定するようになってきました。
予備を全て調べてみると、なんと個々で微妙に計測線の位置が違っていたのです。
それからは、精度の高い日本製を使用するようになりました。

・寒天との格闘

一番頭を悩ませたのは、サンダース・ペリーの特長成分である「寒天」です。
イギリスと同じ分量を煮溶かして冷却するのですが、うまく固まりません。
さらに煮溶かすときに混ぜ方が足りないと、工程で使用するヒーターで焦がしてしまうので、
うまく溶かすことができるまで、何度も実験を繰り返しました。
焦げつき問題が解消した後も、うまく固めることはどうしてもできませんでした。
そこで振り返りをすると、コーンウォールは北海道の北、樺太と同じ緯度であることに気づきました。
昼夜の寒暖差が激しく、室内放置でも翌日にはうまく固まっているのです。
ここにヒントを見出し、大型の冷蔵庫へ入れて冷却してみるといままでよりは、うまく固まりました。
ここから適正な温度を見つけるまで、試行錯誤の日々が続きました。

・ふわふわの質感へ

寒天の固まり方が徐々に安定してきたところで、また次の課題にぶつかりました。
今度はどうしてもあのクリーミーな質感が再現できません。
クリームを混ぜ合わせるミキサーは精度の良さから国産のものを用意していました。
ビーカーの件もあったので、当初は国産品しか考えられませんでした。しかし、寒天の粒が
残ってしまったり、一定時間を超えるとシャバシャバした質感になってしまったりと、
うまくいきません。行き詰ったところで、ミキサーもイギリスと同じものに取り換えてみました。
すると、メレンゲのようなクリーミーなクリームが作れたのです。
正直ここまでミキサーによる違いがでるとは思ってもいませんでした。
以来、ミキサーは今もなお、イギリス製を使用しています。
あとは商品毎に原料の量が違うので、それぞれに適した撹拌時間の実験を繰り返し、
ようやく商品が完成させました。

・国内製造第一号

そして、ついにその日を迎えました。1992年の夏、イギリスの会社より、
17品目がイギリス製品と全く同じ水準に達したと認定をされました。
それは手作り製法の伝承準備が始まってから2年目を迎えていました。
その翌年には、姉のパメラ氏が来日し、オープニングセレモニーと製造認定式を行い、
パメラ氏から合格の言葉が直接出たときは、スタッフ全員で喜びあいました。
以来、ずっと大切に伝承してきたレシピと技術で、心をこめた手作り製法を続けています。